カニンデでの幕屋の集会プレゼンテーション(2)

養成学問総事務局長 ホセ・ロドリゲス・カルバッリョ OFM

親愛なる若い兄弟の皆さん!

「しかし、あなたがたは、私を何者だというのか」(マタ16:15)

私は、小さき兄弟会の中でも最も若いあなたがた一人一人のために神に感謝を捧げつつ、この対話と提唱をはじめたいと思います。あなたが私たちに与えてくださった若い兄弟たちのために、主は賛美されますように。その誠実さ、献身、喜びをもって小さき兄弟会の活力となり、またイエスの後に従い、兄弟フランシスコに倣って生きようとする彼らのために、主は賛美されますように。

今日、イエスについて内省することこそ、私たちのなすべきことです。そこで今、イエスが「しかし、あなたがたは、私を何者だというのか」(マタ16:15)と弟子たちに問いかけたその問いが、皆さんの心に直ちに思い浮かぶのではないでしょうか。この問いの光は私たち一人一人に直接向けられているものであり、これに暗記させられたような杓子定規な答えを返すことには何の意味もありません。私たちはこの問いに、生きられ、経験された答えを出すことを求められているのです。イエスが私たちに期待する答え、この世界に生きる兄弟たちが私たちに求めているような答えを。それは私たちがヨハネの第一の手紙に見出す「私たちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものをあなたたちに伝えます」(Tヨハ1:1-5)と同じ答えでなければなりません。それは、命を与える命に他なりません。

あなたにとってイエスとは何者なのでしょうか?
・ 彼はイデオロギーでしょうか。しかしイデオロギーは過ぎ去っていきます。
・ 彼は指導者でしょうか。指導者には熱意を込めて従ってゆくものです。
 あなたはどれほどの熱意でイエスに従っていますか?
・ 彼は師でしょうか?師の言葉は細心の注意で聞法され、追従者を生むものです。
 あなたはどのようにイエスに耳を傾けていますか?
・ 彼は友人でしょうか?友人には自分の深い心を委ね、打ち明けるものです。
 イエスとあなたの関係はどのようなものですか?
・ イエスは主でしょうか?主は追従され、奉仕されるものです。彼は奉仕する人の心を捕らえてます。誰があなたの心を捕らえていますか?あなたの最も大切なものは何ですか?あなたの心はどこにありますか?


福音書の中では、イエスは「道、真理、命」(ヨハ14:6)、「門」(ヨハ10:7,9)、「羊飼い」(ヨハ10:11,14)、「ぶどうの木」(ヨハ15:1,5)と表されています。これらの言葉は、あなたの生活の中にどのように響いていますか?これらの言葉のどれが、あなた自身にとってのイエスでしょうか?あなたの前に置かれたこれらの言葉によって、あなたはどのようなチャレンジを受けているのでしょうか?

聖書には「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」(ルカ10:27)とあります。しかし、心を尽くして愛することは、その人が真実に、イエスと「恋に落ちる」と言ってもよいほどの出会いを経験して初めて可能になります。「主よ、あなたが私を惑わし、私は惑わされてあなたに捕らえられました」(エレ20:7)。もう一度あなたの心に直接語りかけ尋ねたいと思います。あなたは、本当にイエスに出会ったことがありますか?イエスの弟子たちはイエスに出会い、その正確な時刻を忘れることはありませんでした(ヨハ1:39)。この出会いの結果として彼らは全てを捨て去ります・・・サマリアの女性は水を汲む容器を捨てるでしょう(ヨハ4)。また中風患者は彼の担架を残していきます(ヨハ5)。そして兄弟フランシスコの場合は、以前はつらく思われていた事が甘美なものに変えられています(遺言3)。イエスと出会うということは、それほどまでに大きな衝撃なのです!あなたの場合はどうなのでしょうか?

私は声を大にして言いますが、イエス・キリストに従うこと意外には、修道者になったり小さき兄弟会の生活に入ったり、そして特に会に留まるために、他のいかなる理由もこれまでに決して存在しませんでしたし、これからも決して存在しないでしょう。それゆえ、イエスに魅せられること、イエスと出会うこと、イエスの虜になることは、唯一にして絶対的なことです。そしてそれは、情愛、金、子供、個人的成功などの他の人生の価値観――それらが如何にもっともらしく、賞賛に値し、決定的なものだとしても――を、私たちが求め生きる人生の中では第二義的なものとするのです。

あなたがたに尋ねたい。あなたは何故、小さき兄弟会の兄弟となったのでしょうか?わたしはあなたがこの問いに何と答えるか分かりませんし、おそらく私自身に関してさえも何と答えるべきか分かりません。しかし私は、ありふれているかも知れませんが唯一の価値ある答えを持っています。それは、イエスに従う、ということです。簡単すぎる答えでしょうか?そうかも知れませんし、そうとしか表現しえないのかも知れません。しかし、この答えの持つ偉大な真実はすべてのことを変えていく力を持っています。小さき兄弟としての生き方に従おうとする者で、「イエスにより近く従って行く」ことを提案しない者は、会に留まるのは間違っていますし、去っていかなければなりません。


問いがもう一つあります。それは、「イエスがあなたに何を望んでいるか」というものです。イエスはあなたがたに全てを与えました。それで彼はあなたがたに全てを望んでいます。彼は、あなたがたの心の中心を占領してしまうことを望んでいるのです。彼は、自分があなたがたの心の富となるように、あなたがたの貧しく自由な心を望んでいます。彼は、自分の意志が受け入れられ、自分の言葉が聞き入れられるように、あなたがたの従順で開かれた心を望んでいます。彼は、ナザレの処女マリアのように、貧しく自由な心で、信仰のうちに「私はここにいます。お言葉どおりにこの身になりますように」とあなたがたが応えるのを望んでいます。あるいは、イザヤのように「私はここにいます。私をお遣わしください」とあなたがたが応えるのを待っています。そこで今、あなたが自分を見出すことの出来る具体的な状況の中で、イエスはあなたに何を望んでいるのでしょうか?

これでもう、あなたがたには、自分が何を望み、どのような生き方を必要としているかはっきりしています。
・ あなたは疲れているでしょうか?「起きて食べよ。この旅は長く、あなたには耐え難いからだ」(王上19:7)
・ あなたは弱く力がないと感じていますか?イエスはあなたに「わたしの恵みは、あなたに十分である」(Uコロ12:9)と語っています。
・ 人々はあなたを嘲笑うでしょうか?あなたはパウロのように「私は、自分が信頼している方を知っています」(Uテモ1:12)「私を強めてくださる方のお陰で、私にはすべてが可能です」(フィリ4:13)と答えるよう召されています。
・ それが不可能に思えますか?「神に出来ないことは何一つない」(ルカ1:37)
・ あなたは恐れていますか?「恐れるな、わたしはあなたがたと共にいる」と語るイエスに、あなたの生き方の扉を開いてください。


カール・シュルツが語ったように、理想とは星のようなものです。私たちは決してそれに届くことがありません。しかし、ちょうど船乗りのように、星のおかげで航路を定めることができます。あなた自身の二本の足で大地を踏みしめて生きてください。しかしまた、あなたが預言者であることを拒絶したくないのならば、自分の夢を捨てることのないように。

次のような物語があります。
修道院長のロトが修道院長のジョセフに会いに行き、彼に言いました。「父よ、私は力の及ぶ限り、規則を遵守し、断食し、祈り、瞑想しています。また沈黙を守り、出来るだけ思考を純粋に保つよう心掛けています。他に何が必要でしょうか?」年老いた修道院長は立ち上がり、両手を天に向かって差し出したところ、彼の指は10本の燃える松明に変わりました。それから彼は、「なぜお前は燃え盛る炎とならないのか」と答えたのです。
何故あなたは、もう一人のキリストになろうとしないのですか?自分を炎とし、その炎を吐き出して、フランシスコのようにもう一人のキリストとなってください。これは、全ての小さき兄弟会の兄弟たち、特に若い兄弟たちの使命です。あなたのうちに、この炎が燃え立つでしょうか?