人を隔てていた壁

2月27日

アンジェロ 春山 勝美 神父
Fr.Angelo Haruyama Katsumi, OFM
haruyama@netvision.net.il

 フランシスコ会聖書研究所訳、新約聖書エフェソ書2章に「実に、ごキリスト自身こそ、私たちの平和であり、互いに離れていた二つのものを一つにしたかたです。キリストは、ご自分の体によって、人を隔てていた壁、すなわち、敵意を取り除き、かずかずの規定を伴うおきてからなる律法を無効にし、二つのものをご自分に結びつけることによって、一人の「新しい人」に作り上げ、平和を実現しました。(14-15)」とあります。

 この箇所の注に、「人を隔てていた壁」に関して、パウロが考えていたものにもっとも近い思われるものは、エルサレム神殿内に築かれていた高さ1メートル半の石の壁である。この壁は、ユダヤ人のみが入ることを許された神殿そのもの、およびそれに続く中庭を、「異邦人の庭」から分離するためのもので、この境界を侵害した異邦人には、死刑が科せられていた。」とあります。

 写真は「そのもの」の破片です。70年、ローマはエルサレムを占領し、神殿を破壊しました。およそ2000年間、地中に埋もれていたものです。イスラエル博物館がミレニアム第一期特別展示品として、展示していたものです。(お願い;この写真はコピーしないでください。)
神殿立入禁止当時、イスラエル人と異邦人との間に厳然とした隔たりがありました。「共に食事をし
(写真をクリックすると大きく見えます)ない」と言うこともその一つでした。ペトロがカイザリアのイタリア隊隊長のコルネリオとその家族に洗礼を授けて、エルサレムに帰ると「あなたは異邦人のところに行って、彼らといっしょに食事をしたと」ユダヤ人信者から非難されました。(使徒行録11.1−18)ペトロもイスラエル人の一人として、幻でもって教えられていなかったら、異邦人コルネリオの招き受け入れなかったと思います。ペトロは神の導きでローマ人コルネリオと出会い、「神は人を差別なさらない(使徒行録10.34)」との福音を理解し、「異邦人との隔たり」を乗り越えて、「全世界に行き、すべての者に福音を宣べ伝えなさい。(マルコ16.15)」との派遣使命遂行の第一歩を踏み出しました。

 パウロは「割礼」と言う隔たりをの越えなければなりませんでした。「律法の行い」なしに「正しいもの」とされないと言うユダヤ・キリスト信者は「割礼」を受けることをガラテアに信者に強要しました。パウロは迷いだしたガラテアの信者に手紙を書き、「あなたがたが聖霊を受けたのは、律法に定められた事を行ったからですか。それとも、福音を聞いて信じたからですか。(ガラテア3.2)」と問いかけました。そして、「割礼を受けているかいないかは、問題ではありません。問題なのは新しく造られることです。(ガラテア6.15)」と結んで、福音の本質を明らかにしました。

 イスラエル・パレステイナ情勢は混迷を深め、解決の糸口が見いだせないでいます。昨年の10月からの度重なる暴力事件で、イスラエル人はアラブ人を毛嫌いし、アラブ人はイスラエル人への憎しみを深めています。どうにもならなくなった男と女のようなもんです。
また、私たちも日常生活での「敵意」と言う「隔たり」を取り除くのに不可能さを感じます。

 しかし、キリストは、すでに、十字架の苦しみ、そして、死で「平和」を実現してくださいました。使徒たちも「隔たり」を一つ一つ乗り越え、み旨の実現に命を捧げました。「敵意」を取り除き、生活の場で「平和」を実現していくことが私たち一人一人に託された使命と思いたいのです。

(写真:春山勝美 無断使用をお断りします)