フランシスコ3月4日、エルサレム・キリスト復活大聖堂は四旬節に入りました。取りたてて、啖呵を切るほどではないとお思いでしょうが、おおありなのです。キリスト復活大聖堂では、ローマカトリック教会とオーソドックス(正教)諸教会がそれぞれの主要祭壇で、お互いが時間を調整し合って祭儀を行っています。幸いのことに、カトリック教会と正教教会が使う暦が違うため、たとえば、クリスマス、12月25日がカトリック教会が採用しているグレゴリオ暦(太陽暦)と正教教会のユリウス暦とでは同じ日にならないため、ここ数年、たいした混乱もなく、クリスマス、復活祭を祝ってきました。しかし、今年、2001年はカトリック教会も正教教会も復活祭を4月15日(太陽暦)に祝います。当然の事として、四旬節第一主日が3月4日でした。
祭日は「前晩の祈り」から始まります。3月3日、午後一時半。まず、カトリック・エルサレム総大司教が聖職者に伴われて荘厳に入堂しました。(写真左:カトリック入堂)午後二時、ギリシャ・エルサレム総大主教が同じ様に荘厳に入堂しました。(写真右下:石に献香)次に、コプト・エルサレム総大主教、シリア・エルサレム総大主教が。最後に、アルメニア・エルサレム総大主教が午後三時に荘厳に入堂しました。と同時に、カトリックが「主の受難・死去・復活の道行き」をパイプオルガンの伴奏付きで荘厳に始めました。正教諸教会もそれぞれの祭壇で、荘厳に晩の祈りを始めました。大聖堂内にはそれぞれの「祈り」がこだまして、なんとも言えない世界となりました。
(写真をクリックすると大きく見えます)
さて、ヨハネ福音書では、イエスはご自身を「羊の通る門」(10.7)、「良い羊飼い」(10.11)、「復活、命」(11.25)、「道、真理、命」(14.6)といっています。ピラトの裁判の席で、「ユダヤ人の王か(18.33)」と尋問され、「わたしが王であることは、あなたの言っていることである。わたしは、真理について証するために生まれ、また、そんためにこの世に来た。…」答えると、「真理とは何か」と尋ねられました(18.37-38)。キリストは日常生活で使っている言葉で、ご自身が何者であるかを証していました。この裁判で、キリストとピラトがアラマイ語かラテン語かで、直接、言葉を交わしたのか、通訳を介してなのか分かりません。しかし、ピラトが「真理」をローマ人として、哲学用語「Veritas」と聞き取ったことは明らかです。
キリストがご自身を「平和」と言った個所を見出せませんが、「わたしはあなたたちに平安を残す。わたしの平安をあなたたちに与える(ヨハネ14.27)」と言っています。「わたしの平安」をヨハネ(写真をクリックすると大きく見えます)福音書的に解釈してみ(ました。イエスは「み言葉が人間(ヨハネ1.14)となった方です。イスラエルの民は神を見ると死ぬと恐れていました。モーセ(出エジプト33.18-33)もエリアも(列王上19013)神の「顔」を見ることは出来ず、神の臨在を恐れおののきながら感じ取るのがやっとでした。「神」と「人」、「神性」と「人性」とは決して一体となることは不可能な関係でした。容器の中の「ドレッシング」で、「油」と「他のコンテンツ」が分離した状態のようなものでしょうか。しかし、良く振って使うと、「油」と「他のコンテンツ」が交じり合って、「ドレッシング」となります。イエスにおいて「神性」と「人性」は厳然たる区別がありながらも、イエスの行為はいつも「神性」と「人性」とが一体のなったものです。「キリスト論」がこの問題を解き明かしました。キリストが私たちの残された「平安・平和」は同質のものがそこにあると言うこと違い、絶対に融和することがない「二つ」、「三つ」のものが前提になっていると思うのです。キリスト復活大聖堂が、カトリック固有の、あるいは、オーソドック固有の大聖堂でなく、「キリストの教会」として、それぞれの教会が、それぞれの方法で「救い主の死と復活」、人々の「救いの祭儀」を執り行っている現状が「神のみ旨」と喜べるようになりました。
(写真:春山勝美 無断使用をお断りします)
|