主の公現

2月4日(1)

アンジェロ 春山 勝美 神父
Fr.Angelo Haruyama Katsumi, OFM
haruyama@netvision.net.il

ギリシャ正教公現祭1月26日、キリスト復活大聖堂での主の降誕祭は終わりました。この日、アルメニア正教会が「主の公現」祭を祝いました。アルメニア正教会では初期教会典礼を維持し、「神の子の誕生」、「東方からの三人の博士の礼拝」、「主の洗礼」、「カナでの水をぶどう酒に変えた奇跡」をこの日、一日の典礼「エピファニア・公現」で祝います。

カトリック教会は、全世界、太陽暦に従い、12月25日、「主の降誕」を祝います。1月6日(日本では1月1日以後の最初のに日曜日)、「主の公現」を祝い、その後、最初の日曜日に「主の洗礼」を祝います。そして、降誕節は終わります。

エルサレムのギリシャ正教会はユリウス暦を使うので、「12月25日」は今年の太陽暦では1月7日となり、この日、「クリスマス」でした。1月6日の「主の公現」は1月19日となりました。アルメニア正教会が一週間遅れの26日となったのは、ギリシャ正教会と同じ日に、キリスト復活聖堂(聖墳墓)で祭儀が執り行うことが出来ないからです。それぞれの正教会では祭儀の時間が長く、ギリシャ正教会の「エピファニア」は午前7時から始まり、終わったのが午前11時過ぎでした。

「エピファニア・主の公現」とは人となった神、イエスが本性上そなえている神性を人々に公に現わしたことです。星に導かれた博士たちは「黄金」、「もつやく」、「にゅうこう」を捧げて、幼子が神の子、救い主、メシヤであることを贈り物で宣言しました。ヨルダン川での洗礼では、「これはわが愛する子、わが心にかなう者である(マタイ3.17)。」との声が天からあり、おん父ご自身が証明しました。また、カナの婚礼の席での水をぶどう酒に変えた奇跡では、同行していた使徒ヨハネは「イエスは最初のしるしとして・・・・ご自分の栄光を現された(2.11)。」と伝えています。

祭日「エピファニア」はこのようなキリスト論に根ざすものです。と同時にロンジーヌス上、教会論ともかかわりがあります。幼子イエスが「契約の民イスラエル」から羊飼いたちを、またさらに、「異邦人の博士たち」を礼拝に呼んだことは、神の救いの意図が「割礼のイスラエル人」ばかりでなく、「無割礼の異邦人」にも及ぶことの現れでした。

キリスト復活大聖堂に「百人隊長と共にいた人たち」と言うチャペルがあります。ギリシャ専有の聖堂カトリコンの祭壇の後方、三つあるチャペルの北西側です。伝承では百人隊長をロンジーヌスと呼んでいます。

カトリック教会では、このロンジーヌスをヨハネ福音によるイエスのわき腹に槍を刺したローマ兵士と見ています(19.34)。システイナ礼拝堂の「最後の審判」にも小さく描かれています。また、アッシジのサンダミアーノの十字架にも小さくその姿があります。

ギリシャ正教会では、同じロンジーヌスをルカが伝えるイエス十字架執行人としています。福音書には「百人隊長はこの出来事を見て、神を賛美して、『このかたはまことに正しい人だった』と言った(ルカ23.47)。」とあります。

カトリック教会はイエスのわき腹から「血と水とが流れ出た(19.34)。」ことから、「聖体」と「洗礼」の秘蹟を汲み取ります。また、ギリシャ正教会の解釈をも受け入れることができロンジーヌス下ます。無割礼の異邦人、ローマの百人隊長がイエスの十字架上での死に様を見て、イエスを「正しい人」、別の箇所では、「神の子」と信仰宣言したと理解しているからです。

幼子を「神」として礼拝した博士たち、十字架で殺されていったイエスを「神」と感じ取ったローマ軍人たち、キリストの教会はこのような人たちから始まりました。