昨年、この時期、「春一番」で紹介した花木は「アーモンド」と教えてもらいました。その満開のアーモンドをご覧ください(写真:アーモンド満開)。同じ木を撮りに行ったのですが、その日、時間が早く、条件が悪かったので撮るのをやめました。これは、「ダビデの町」に咲いていたものです。エルサレムは立春を過ぎると、一気に、春となります。
そして、また、教会では、灰の水曜日(2月13日)から四旬節が始まりました。この時期、キリスト復活大聖堂では、エルサレム総大司教を迎え、私たちが毎日行っている「キリストの受難・死・復活の行列」を荘厳に行います。16日(灰の水曜日後の土曜日)、総大司教はキリスト復活大聖堂慣行(Status quo)に従い、聖職者たちを伴い、荘厳に入堂しました。荘厳入堂のときは、カトリックばかりでなく、オーソドックスでも、大聖堂を入ったところにある「清めの石」に崇敬を表します(写真:Patriarcha入堂)。ここはキリストが処刑されたところと埋葬されたところとの中間にあり、女たちが十字架から下ろした遺体を埋葬のため清めたところです。崇敬がすむと、兄弟たちは、Te Deumを歌いながら、総大司教をカトリック聖堂へと案内します。途中、総大司教はお墓に入って、ひと時、祈ります。カトリック聖堂では、まず、院長から歓迎の挨拶を受け(写真:聖堂で歓迎)、
聖職者ひとり一人から従順の表敬を受けます。
行列は「十字架の道行き」と同じく、大聖堂内の14の留を巡ります。「聖体の祭壇」から始まって、「鞭打たれたとき、縛られた石柱」、「キリストの牢獄」、「衣服を剥ぎ取られ、くじ引きにされたこと」、「十字架発見の洞窟」、「聖へレナのチャペル(写真:行列:聖ヘレナ)」、「兵士たちに辱められ、玉座代わりに座らされた石柱」、「十字架に付けられたところ」、「息絶えたところ」、「悲しみの聖母」、「清めの石」、「お墓・復活」、「マグダラの聖マリアに現れたところ」、そして、「聖母に現れた聖堂」です。ところで、この行列に、1月末、横浜教区浅田教会主任エドワード神父様団長の巡礼団が、この5年間で始めて、巡礼団として参加しました。いや、歴史的最初の参加だったのではないでしょうか。この行列は「十字架の道行き」ほど、教会内外に知れ渡っていません。私事ですが、20年前の聖地巡礼でこの行列を知り、参加し、感銘を受けました。その思い出が日本旅たちの起爆剤となりました。
さて、「テロリストの黒幕」で取り上げた、「闇討ち・辻斬り」テロリズムのその後は聖墳墓修道院の人事異動となりました。働き手の息子を、突然、失った母親の涙は日がたっても涸れず、日に日に悲しみは大きく、深くなっていくようです。年下の息子はイスラエル人に投石したかどでイスラエル警察に連行されるのを恐れ、身を隠しています。娘と女二人では夜が過ごせないと、この点でも、また涙。息子の司祭は聖墳墓修道院勤務、真夜中に聖務があります。午後7時に門が閉まったら、入ることも出ることも出来ません。事件後、休暇扱いとなり、そばにいて母親を慰め、力づけていましたが、クストス(管区長)は聖墳墓修道院を正常化するため、彼を本部修道院に移して教会の助任とし、教会の助任を修道院に派遣しました。任命された司祭は突然の転勤とここでの任務に不安を感じ、穏やかではありません。
台所で働くアラブ人キリスト信者のコメント。キリスト信者は、死後、誰もが天国に直行するとは限らず、人によっては煉獄があり、地獄があると言う。一方、イスラム教徒は、死後、誰もが天国に行けるので、死者を悼むことは、キリスト信者以上かもしれないけど、喪の期間が過ぎると悲しみを乗り越えて、たくましく生きる。概して、キリスト信者はちやほやされすぎたのではないか。
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