地は混沌であって

4月3日

アンジェロ 春山 勝美 神父
Fr.Angelo Haruyama Katsumi, OFM
haruyama@netvision.net.il

「天使は婦人たちに言った。『恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。・・・さあ、遺体の置いてあった場所をみなさい。』(マタイ28.5-6)。」この言葉は聖墳墓の玄室の祭壇にラテン語で刻まれていますし、「主の受難・死・復活を記念する行列」では、毎日、ここで、必ず、思い起こす言葉です。イエスの名は過去帳や死者目録に記載されていません。死に打ち勝った者として、あの時から2000年後の今でも、弟子たちと生活したイエスは私たちと共にいます。
Tabernaculum
さて、教会は主の輝かしい復活を感覚的に追体験するために、典礼暦で主日を定めていますが、特に、復活祭前三日間を特別の日としています。しかし、今年、聖地では、神と人、人と人との和解のため、ご自身を「いけにえ」として十字架上で捧げたキリストを冒涜する殺し合いが跡を絶ちません。

27日(水)午後、キリスト復活大聖堂では聖木曜日の「聖香油のミサ」と「主の晩餐の夕べのミサ」を準備するための朗読課がありました。神がモーセを選び、指導者とし、イスラエルの民をエジプトの奴隷生活から解放した神の偉大な業、「過越」について思い起こしました。夕食後、飛び込んできたニュースがネタニヤでの神風テロの惨事でした。殺された人22人、負傷者140人以上。この日、イスラエル人は過越祭を祝っていました。聖書の記述通り、日が落ちて間もなく、ホテルの宴会場は家族ごとの、過越祭の食事の席で一杯でした。

「神風」は治安関係者らしいIDで入り口の保安係を欺き、宴会場入り口で立ち止まり、人探しをしている様子でした。そして、最も多く死傷者が出せるところを選んで、自爆したと報道されました。過越祭の安息日が明けた29日(金)、イスラエル軍は100輌を超える戦車、装甲車でラマラに侵攻し、アラファト議長府を占拠し、彼を地下の避難所に閉じ込めてしまいました。このニュースが伝わって間もなく、午後二時過ぎ、エルサレム郊外、イスラエル人住宅地区のスーパーマケットで18歳のパレステイナ少女が三人目の「おんな・かみかぜ」となって、自爆しました。荷物を持って店に入って行った少女を疑った保安係りが呼び止め、荷物検査をしようと近づいたときの出来事でした。

さらに、この日の午前、エルサレムのアル・アクサモスクに金曜日の礼拝に来ていたパレステイナ青年が西の壁で過越祭の祈りをしているイスラエル人に投石する事件がありました。彼らは、すぐ、駆逐されました。それで、聖金曜日の十字架の道行きは予定通り行うことが出来ました。この十字架の道行きで思いがけなく、第四留のところで日本からの巡礼団、宮崎カリタス会のシスターと出会いました。

キリスト復活大聖堂では聖木曜日午前中に「聖香油のミサ」と「主の晩さんの夕べのミサ」を一つにして祝います。ミサがすむと大聖堂は閉ざされ、聖体を玄室に設えた聖櫃に納め、聖なる安息を記念します。大聖堂の門は祭儀を司式する司教が入場、退場するたびに、開閉さるだけです。翌聖金曜日、「主の受難」の祭儀が済むと平常に戻ります。これは、祭儀が外部の人たちから妨げられるのを防ぐためです。このように、守られて、祭儀を行うことが出来るのはありがたいことです。しかし、今年は、なぜか、典礼に浸ることが出来ませんでした。壁の内側と外側ではあまりにも違いがありすぎました。

パレステイナひいきの方には申し訳ありませんが、今回の事態もパレステイナ側からの挑発です。闇討ちや人を巻き沿いにする自爆行為は同胞をより悲惨な状態に追いやるだけで、決してパレステイナ国家の建設に役立ちません。イスラエルはこのようなテロに屈しません。必ず報復します。世界の報道機関が今回の事態を最悪のものとして報道しています。

しかし、日本での報道には納得しかねるところがあります。たとえば、NHKの報道で、「パレステイナ住民がイスラエルの過激な軍事行動の犠牲になっている。」、「イスラエル軍は自治区から撤退すべきだ。」、そして、30日のエルサレムからのレポートでは「国際社会が介入すべきだ。」と、このようなものでした。聞く者に、イスラエルが一方的にパレステイナ住民に軍事的圧力をかけているような印象を与えます。それに、数日前のアラブサミットについての報道ですが、「イスラエルがアラファトの出席を妨害している。」理由として、「ジニ特使の調停案を承認すること。サミット出席中にテロを起こさないこと。」イスラエルのこの要求がどうして「妨害」になるのか、私には分かりません。案の定、サミット開催中の27日、神風攻撃がありました。

今のイスラエル内閣は挙国一致内閣です。外相と国防相はオスロ合意を取り付けた労働党員です。数日前、ジニ特使を迎えるため、イスラエル軍を自治区から撤退させたとき、シャロンは所属政党リクルートや極右からは「シャロンは洗脳された」と酷評され、極右政党は閣僚を内閣から引き上げてしまいました。超タカ派と言われるシャロンですが、テロの直後、右翼の意を受けて軍事行動に出たかと思えば、左派に手綱を締め付けられ、中途半端さが目立ちます。そして、今回の軍事行動ですが、NHKばかりでなく、世界の報道機関がイスラエルの軍事行動を「過激」とコメントしていました。中東に石油を依存する国々は当然アラブ寄りです。イスラエルの立場を理解するのはアメリカです。昨年、アメリカはテロが何であるかを体験しました。

さて、イスラエルの軍事行動をイスラエル側から見ると、こうなります。度重なるテロでイスラエル国民の不満が高まり、アラファトも、その度、住民への攻撃を控えるように命じますが、武闘派は命令に従いません。パレステイナ自治政府がテロリストを野放しているとイスラエルには見えました。最近のパレステイナ自治区侵攻は自分たちの手で容疑者を逮捕するためでした。しかし、パレステイナ側はこれに反発し、撤退しなければアメリカの仲介であっても、交渉に応じないと硬化した態度をとり続けました。調停を成功させるためにとパレステイナ側の要求を受けて撤退しました。

まずは、この様ないきさつで、停戦交渉中での神風テロでした。しかも、ペレス外相が31日の記者会見で指摘しているように、過越祭という最も神聖な宗教行事の席に「神風」が送り込まれ、西の壁(嘆きの壁)で過越祭の祈りをするイスラエル人に上から投石されたのです。イスラエル住民がパレステイナテロリスト組織の壊滅を訴えるのは理解できないことでしょうか。サリン事件であれほどの騒ぎになった日本です。あの程度ではテロが何であるか知るには不足だったのでしょうか。

パレステイナ人がイスラム教徒として団結するとき、ユダヤ教もキリスト教も他のいかなる宗教も邪教とみなされ、存在価値が認められないばかりでなく、積極的に根絶させられます。彼らは、聖地に来てこの千年、意図的に教会、修道院を狙い、攻撃し、破壊しています。パレステイナ国家成立後、アラブキリスト信者の場がなくなることを私たちは予測しています。

また、31日、ハイファで、18歳の少年「神風」がレストランに突っ込み、自爆しました。16人を殺し、30人の超えるけが人を出す戦果を上げました。ベトレヘム郊外の緊急医療センターでも、多数のけが人を出す自爆テロがありました。少年少女、低年齢化した自爆テロリストをどう見たらいいでしょうか。

敗戦末期の日本を、また、思い出しています。少年たちは予科練(海軍飛行予科訓練生)に憧れ、特攻隊員となることを競い、天皇のため、国のため命を捧げることが日本男子の本懐と信じていました。このように教えられていたのです。「鬼畜米英」と大人たちが言うので、米英人には「角」があると子供たちは信じていました。今では笑い話にもならないでしょうが、子供の「素直さ」「無地」を取り上げたいのです。敗戦後、多くの教育者が戦犯として公職追放されました。少年少女を「殉教者」になれと扇動し、「犬死」、命を無駄にさせてはならないはずです。(参照:立つ鳥後を濁さず)。隣人との共存を図り、豊かで平和な市民社会を築くため、命を尽くす若者に育てなければ、人間社会に明日はありません。

復活の聖なる徹夜祭の第一朗読は創世記から取られました。「初めに、神は天と地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。(1.1-3)。聖地の「混沌」は、まさに、全能の神の創造の場と信じるべきかも。