7月4日、「NHKニュースおはよう日本」では、ヨルダン川西岸の町、トルカルム(TulKarm)近郊の部落の近状をレポートしていました。2週間に及ぶトルカルムの軍事封鎖で部落民は町に入れず、病院に通えません。救急車でさえ追い返される始末、その結果、急病人が死んだり、妊婦が流産したり、病院での関節治療が受けられなくなった少女が歩けなくなる危険にさらされていること、見かねた、イスラエル国籍のアラブ人医師が巡回診療にあったでいる様子が報道されました。
6月末、ガザで、5000人の失業者が2週連続して街頭に出て、「職を求める」デモ行進をしました。そのプラカードには「われわれは物乞いではない」、「働き場がほしいい」とありました。また、ある参加者は、「テレビではアラブ諸国が支援金を送ったとあるが、われわれは受け取ってない。盗まれた。」と叫んでいました。
今回のIntifadaが始まる前には、12万人からのパレステイナ人がイスラエル側に職を持ち、日に30ドルの収入があったと言われています。それが今、2ドル以下での生活を強いられています。それは、度重なるテロでイスラエルが道路封鎖をし、パレステイナ人の出入を厳しく管理しているので、イスラエル側での職を失ったからです。
イスラエル軍が道路を封鎖し、さらに、自治区内に進攻して軍事活動地区を設定し、外出禁止令を敷き、パレステイナ諸都市を占拠しているのはテロリストの逮捕とテロ組織の壊滅のためだと説明しています。これに対して、国際社会からの非難ばかりでなく、イスラエル国内からも、自治区からの撤退を求める声があります。しかし、治安当局からは、撤退すれば、テロリストの活動がまた息を吹き返すと警告しています。
4日のTheJerusalemPostには、テロとのかかわりが薄らいだ都市から、徐々に、外出禁止令を緩和すること、また、とりあえず、5000人のパレステイナ人労働者を受け入れること、それに、差し押さえていた水道税、電気税を自治政府に納入する決定をしたとありました。
ところで、6月末、イスラエル軍は一枚の写真を公開しました。やっとひとり立ちが出来るようになった幼児ですが、腰に爆弾の帯を締め、首から下げた弾帯でそれを吊り、鉢巻をしたパレステイナ武闘派ハマスの「かみかぜ」の勇士です。イスラエルの新聞は「おしめテロリスト」と酷評していましたが、ショックは隠せませんでした。これまでもしばしば、イスラエルはパレステイナが学校や公の場で子供たちに対イスラエル復讐心を掻きたてていると非難していました。ところが、この写真は、すでに、家庭で、幼児期から扇動的教育が始まっている証拠となりました。パレステイナ住民の大多数は「かみかぜ」をイスラエル抵抗手段として承認していますし,多くの子供たちが志願しています。(参照:ノート2)
6月30日、イスラエル軍特殊部隊がナブルス郊外のテロリスト隠れ家を急襲し、最重要容疑者モハネド タヒル(Mohaned Tahir)を殺害しました。イスラエル国防相エリエゼルは「今回の作戦での最も偉大な戦功」と部隊を称えました。
タヒルは爆弾製造技術者で、彼の容疑は120人を越えるイスラエル市民殺害に直接、間接かかわったと言うものです。これまでも、ヘリコプターから攻撃されたり、隠れ家を急襲されたりしましたが、命拾いしていました。しかし、今回は執拗なイスラエル軍の追跡をかわすことが出来ませんでした。
7月2日、TheJesusalemPostはお母さん(Omaieh Tahir)のことばを載せていました。お母さんは息子殺害の翌日、インタヴューの席で、イスラエルのテロ犠牲者に深い哀悼の意を表しました。そして、涙ながら話し出しました。テレビで自爆テロの現場が報道されると、胸が詰まった。犠牲者にもお母さんがいて、私と同じように、子供を失いたくないはずだ。もし、時間が戻せるなら、息子がこの道から足を洗うようにさせたい。確かに以前、パレステイナ刑務所に収監されていたころ、面会所で、ハマス活動を止め、亡きお父さんの家具店を継ぐと約束してくれた。彼女の夢は息子がナブルスのAn-Najah大学を卒業し、職業に就き、結婚して家庭を持つことでした。そして、今は、すべてが後の祭りとなったと息子を奪われた母親の嘆きで結んでいました。
素朴な母親たちの願いを踏みにじるのは政治です。イスラエルが土地を奪い、住民を殺す。パレステイナの若者は復讐に立ち上がる。それにしても、パレステイナはイスラエル市民を狙うテロ、これに対するイスラエルの報復であまりにも大きな損害を被っています。教皇様は月末の連続自爆テロの後,テロを強く非難し,「このような野蛮な攻撃を企て,,計画する人々は,神のみ前で、その償いをしなければなりません」と警告しました。(カトリック新聞6月30日)。テロを政治交渉の手段としてはならないのです。ガザでのデモ参加者の一人は叫んでいました。土地が戻らなくてもいい。土地は神のものだ。私は働きたいんだ。私は生活が出来ればそれで良いんだ。
いつも、子供と共に生き、子供の幸せを願い、敵味方なく、人の不幸に共感する母親はどこにでもいます。また、家族を養うため,「日ごとの糧」を自分の手で手に入れたいと願う男たちもいます。神が望む「政治」はこれらの小さな人たちの声に耳を傾け,その実現の道筋を計ることだと思うのですが。
ノート1: 「ラケルが泣いている」。 エレミア31章15節に「主はこう言われる。ラマで声が聞こえる。苦悩に満ちて嘆き,泣く声が。ラケルが息子たちのゆえに泣いている。彼女は慰めを拒む、もう息子たちはいないのだから。」とあります。ラケルは太祖ヤコブの最愛の妻で,ヨセフとベニヤミンの母親でした。このベニヤミンをベトレヘムで生んだ後、死にました。エルサレムからベトレヘムに入ってまもなくのところにラケルの墓があります。ところで、ここで、預言者エレミアが預言するのはサマリアに関わることです。サマリアはヨセフの子、エフライムの領地でした。BC721年,サマリアはアッシリアの滅ぼされ、主だった人たちは捕囚として,アッシリアに連行されました。預言者エレミアはこの捕囚のさまを,太祖ラケルの嘆きとして表現したのです。しかし、預言者は続けています、「主はこう言われる。泣きやむがよい。目から涙をぬぐいなさい。・・・・あなたの未来には希望がある、と主は言われる。息子たちは自分の国に帰ってくる。(31.16-17)」私はこの預言が再びこの地で実現すると信じています。
ノート2: Friday, 28 June, 2002, 13:43 GMT 14:43 UK
'Baby bomber photo' shocks Israel
http://news.bbc.co.uk/hi/english/world/middle_east/newsid_2075000/2075072.stm
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