戦争映画を見ているのかなーと錯覚してしまいます。しかし、現実なのです。人が神になろうとして築いたバベルの地で起きている現実なのです。罰で共通の言葉を失い、隣人を理解できなくなった悲しい現実です。
4月6日深夜、衛星日本語テレビ放送(JSTV)は朗読紀行「戦艦大和の最後」を放送していました。呉を出港してから、長官は士官たちに作戦目的を明かします。燃料は片道分しか積んでいないことを知り、「一億玉砕」の先駆けとして、「潔く花と散ろう。」と秘めた決意が艦内にみなぎります。勝ち目のない戦は、その後、沖縄戦、無差別・じゅうたん爆撃、原爆投下と被害を大きくしていきました。そして、昭和天皇は、「これ以上の国民の惨状は耐え難い。」と、無条件で身柄を連合国に差し出す決意をし、戦争を終わらせました。サダム・フセインが手本としてくれればいいのですが。
しかし、この時期、エルサレムでは、神の変わらない計らが人の心を和めてくれます。
3月30日、オーソドックス教会では四旬節第三主日でした。この日、ギリシャオーソドックスはキリスト処刑の十字架の聖遺物をもって、主の受難行列を行いました(写真1)。大聖堂を出て、ローマ時代の大通りCARDOを通り、ユダヤ人地区で見かけた山吹もどきです(写真2)。さらに進んで、シオン門を出、城壁に沿って左に下るところに広がる花絨毯です(写真3)。この先が、最後の晩餐が行われたシオンの丘です。城壁に沿ってさらに下ったところに咲く花木です(写真4)。この辺りは、キリスト時代の住宅地でした。住居の床の一部を見ることが出来ます。廃墟に咲く一輪(写真5)。
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