7月13日、日本の首相がエルサレム旧市街に入りました。
思い起こせば10年前、時の池田外相が、黄金のドーム、西の壁、キリスト復活大聖堂を訪れるとの話があり、心待ちしておりました。ところが訪問前日、突然、訪問中止との知らせがありました。大使館の説明では、最終調整の席でパレステイナ側が日本政府の外相がイスラエル占領地、エルサレム旧市街に入ることは、例えそれが個人的理由であれ、イスラエルのエルサレム占領を日本が肯定することになるとのクレームをつけたので、とのことでした。当時の日本政府はパレステイナ、アラブ世界との友好関係を損なう危険を、あえて、冒したくなかったからでしょう。
あれから10年。日本外交の一つの成果と喜びたいです。
大使館から言われたことは、首相の個人的訪問であり、案内時間は15分内で、とのことでした。また、キリスト復活大聖堂責任者たちの出迎えは必要ないとの事でした。私は大使館のからの意を院長に伝えておいたのですが、イスラエル当局から首相訪問の件が公式なルートを通して院長に伝わり、ギリシャの院長ともども大聖堂入り口前で出迎えてくれました。
まず、正面のモヌメント、「キリストの遺体を清めた床」を「聖書原典からの碑文」で説明しました。また、正面のモザイクは視覚的にこの聖域を説明していると付け加えました。(写真1:ヨハネ19.38-42)。
次いで、お墓内部に入り、ここがキリストの遺体を収めたところではあるが、復活したので遺骨、遺物はない。そして、「復活した」ということは「今でもおられる」ということで、ミサを行う「その時」、「その場所」でキリストご自身と出会うと話したら、復活の絵を興味深そうに見つめていました。(写真2:墓内部)。そして、ギリシャの修道士から渡されたローソクを捧げ、一礼して退出しました。(写真3:お墓前)。
向かいのカトリコンでは、「聖域なき構造改革」と切り出し、ギリシャ聖堂ではミサの神聖な部分を執り行う祭壇と信者が集う場所とはイコン壁で厳然と区別されていること、他方、カトリックでは信者が祭壇の際でミサに与ることが出来るようになり、「聖域」を特別に設けていないと話しました。(写真4:ギリシャ祭儀inカトリコン)。
また、ドームのパントクレアトールを指し示し、キリストが全能の創造主、神の神秘を解き明かす権能者であり、審判者であること、(写真5:見上げる首相、写真6:パントクレアトール)。
また、「地球のへそ」と呼ばれるモヌメントを示し、人々への救いがここで起き、ここから全世界に広まっていったことを「この粗末なオブジェ」は私たちに思い起こさせていると話しました。そばにいた一人がローソクを手渡したので、誰か火をと言ったら、同伴していた聖墳墓派出所署長がライターを取り出し、ローソクに火を点してくれました。首相は、ここでも、ローソクを捧げました。(写真7:地球のへそ、写真8:警察官から火を、写真9:ローソクを捧げるinカトリコン)。
ゴルゴタ(キリスト処刑の地)は、十字軍が増設したカトリック側と本来のギリシャ側とに分かれている現実を説明しました。悲しみの聖母の祭壇では、そのケースが螺鈿細工の漆器であるので日本製ではないかとの持論を述べました。そして、十字架が建てられたところに案内し、ゴルゴタの岩肌に直接触れることが出来ると話したら、手を差し入れ、確かめておられました。
すでに、予定時間をオーバーしていると気付きましたが、時計は見ないことにし、再び、悲しみの聖母祭壇前に戻り、この地点がギリシャとカトリックで係争中と、「竹島」の例で話したら、大使が間髪入れず、「竹島は日本の領土だ」と口を入れました。境界が柱の中心点とのギリシャの主張に立てば、祭壇の設置はカトリック側の侵犯となります。ということは、カトリックが優位であった時、設置したのでしょう。しかし、写真を見てください。ギリシャ側(手前)の茶色の石が白い大理石面に10センチほど、組み込んでいます。これはギリシャ側の抗議で、この地点の所有権を放棄していないとの意思表示と見ています。(写真10:悲しみの聖母祭壇前)。
大聖堂内でも、係争中の箇所が、あまた、ありますと申し上げたら、この地での、宗教間の紛争が分からないと言っていました。ちょうどその時、ギリシャの院長様が十字架の聖遺物をお見せしたい、言ってくらました。院長事務室に案内され、宝庫に安置してある聖十字架の遺物を見ることが出来ました。首相は何なのかご理解できない様子でした。宝石をちりばめた純金製の十字架の枠ではなく、キリスト処刑に使われた十字架の破片が収められていることを指摘したのですが。世界中の聖十字架の遺物のなかで、この遺物が最も信憑性が高いものと見ています。9月14日、十字架賞賛の日、総大主教がこの聖遺物を頭に載せ、堂内を行列します。
首相一行が大聖堂を退出した後、院長が漏らしていました。ギリシャの院長が、イスラエル人が同行しているにもかかわらず、聖十字架の遺物を見せたとは!これまで例がないと。
最近になってからです、堂内のギリシャ、アルメニア、コプト、フランシスコ会の修道士たちが、係争問題を抱えながらも、お互いが親しさを感じあえるようになったのは。
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