「チャングムの誓い」が終わりました。54週、長かったです。最初の頃は、冬のソナタの余韻が強く、NHK大河ドラマの韓国版として、「流し観る」つもりでした。ところが、回を重ねていくうちに、引き込まれてしまいました。そして、「第48話チェ一族の崩壊」を目前にした頃から、「恨(han)」が思い出されました。すでに、20年が過ぎましたが、マニラの東アジア司牧研修所で学んだことです。韓国からの研修者が、自国紹介の場で、韓国民の心情を表す言葉に「恨」があると言っていました。私たちにとっての「やまとたましい」といった類なのだろうと解しました。
ここでは蛇足になるので、物語の筋をたどるのはさけますが、チャングムが宮中に上がったのは「母」の遺言でしたが、「母」と「ハン尚宮」の恨みを晴らすことであったことだけは、抑えておきたいと思います。
さて、物語は進んで、「第47話 口封じ」の段で、「そしてチェ女官長は ミョンイの墓の前で土下座して チャングムに許しを請う。チャングムはチェ女官長の心を信じるとは言うものの、お役所に行ってすべてを打ち明けてほしいと言う。ところが それだけは許してほしい。 家だけは残してほしいと女官長は訴える。チャングムは反省とは自らの行動に責任を取ることで、自分のしたことの過ちを悟り、犯した罪の償いをし、二度と同じ過ちを繰り返さないことです。
自分の罪を世間に証もせず、何も失うことなく ただ許しを請うだけでは反省とはいえないのでは・・・と問う。 女官長はこうして土下座しているだろう! この私がお前の前で!と声を荒げるが、チャングムは「お役所にお行きください。」とだけ言い残して、その場を立ち去るのだった・・・」。
この場面で、韓国の人たちが、「日本の植民地政策の謝罪が十分ではない」と言い続ける心情が思い当たりました。首相が天皇までが韓国民に謝罪を繰り返していたと思っていましたが、何か、足らないのでしょうね。一人ひとりが「反省とは自らの行動に責任を取ることで、自分のしたことの過ちを悟り、犯した罪の償いをし、二度と同じ過ちを繰り返さないことです。自分の罪を世間に証もせず、何も失うことなく、ただ許しを請うだけでは反省とはいえないのでは・・・」とのチャングムの言葉をかみ締めなければならないと感じました。
福岡にいた時、釜山教区釜山中央教会の主任司祭と信徒代表を迎えたことがあります。この信徒代表が後で打ち明けてくれました。飛行機から降り、日本の土を踏んだ時、「これまでの思いをすべて乗り越え、韓国と日本の新しい関係の第一歩を踏み出す決意をした。」と。
それに、壮大な物語でしたので、登場人物が多様でした。そのなかで、チャングムとクミオンを比較してみました。チャングムについては、ミン・ジョンホが王に言いました。「・・・女人としてももちろん、天から与えられた才能も、その才能を持ってしても降りかかる困難、喜び、悲しみ、失敗も・・・一度、目標を定めると決して揺るがぬ信念も、志も・・・私にとってはどれも美しく、大切なもの・・・」と。
他方、クミオンは悪役の典型、チェ女官長のブレーンとして、物語の影の進行役でした。宮中を去る前に、チャングムを呼び、かつて奪った手紙を手渡していった言葉です。「おば様から燃やせと言われたけど、燃やせなかった。それが、私。一族の一員としては迷いが捨てきれず、かといって、自分の意思を貫くことも出来ず、心から自分を信じることも出来ず、心から自戒することもなく、曇りのない才能を持つこともなく、曇りのない真心を持つこともなく、ひたむきな思いを寄せられることもなく、ひたむきに恋に生きることも出来ず・・・・」この場面で、クミオンを身近な存在と感じました。
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