ご復活おめでとうございます

4月9日

アンジェロ 春山 勝美 神父
Fr.Angelo Haruyama Katsumi, OFM
メールはこれで 

今年はカトリックとオーソドックスの復活祭が同じ日でした。使用している暦が違うので例年ではオーソドックスは、ほぼ、ひと月遅れで、復活祭となります。それに、ユダヤ教の過ぎ越し祭が4月3日でした。そのため、この一週間、近郊からのイスラム・パレステイナ人はブロックされ、エルサレム旧市街に入れなかったと聞きました。
写真1:最初の火
キリスト復活大聖堂では、慣習により、聖なる三日間は典礼時間でオーソドックスを配慮しますが、カトリックが優先的にお墓前を使います。

たとえば、聖木曜日では「聖香油のミサ」と「最後の晩餐の記念のミサ」を一つにして、午前中に済ませます。昼前には司教や聖職者たちは退出します。そして、大聖堂は閉ざされます。午後三時前、祭儀のため、聖職者たちが入堂しますが、すぐ閉ざされます。午後五時前、聖職者たちが退出すると、また、閉ざされ、午後8時、数分間、礼拝者の入堂のため開きますが、翌朝7時まで、主の死を偲んでの聖時間となります。このような時間割のため、この日だけは、内部の写真2:カトリック側にもs私たちは外出を控えます。

聖土曜日はイスラエル警官により大聖堂入堂が厳しく規制されました。イスラエル警察が発行したカードがなければ、入堂で出来ませんでした。午前6時半になり、祭儀に参加する聖職者たちや信者の入堂が緩和されました。このため、30分ぐらい遅れて、復活徹夜祭が始まりました。そうです。日没後行うことになっている復活徹夜祭を午前中に済ますのです。日本時間午後3時、アレルヤを歌いました。10時にはカトリック聖職者たちは退出します。そして、オーソドックスの「火の祭儀」となります。


午後2時、ギリシャ総大主教と聖職者たちが復活記念聖堂を左回りに三回回ります。聖堂正面で総大主教は祭服を脱ぎ、玄室に入ります。「最初の火」が右側の空気取り入れ口から出されました。(写真1:最初の火)。そして、大聖堂内外の信者のローソクに点されました。(写真2:カトリック側にもs)。数年前から不慮の事故を恐れて、イスラエル警官が大勢待機するようになりました。キリストの死と復活によってもたらされた神の恵み・「いのち」がすべての人に行き渡ることを祈っています。こ日の夜、8時、エチオピア復活祭の行列が聖へレナ聖堂の上、エチオピア修道院広場で行われます。

写真3:聖堂s 写真4:旗s

二つ聖堂には信者で満ちていました。(写真3:聖堂s)。広場は身動きできないほどでした。大きな旗を掲げ、(写真4:旗s)その前を女性のグループ、男のグループがドラムに合わせて歌い、踊りながら進み、(写真5;踊りながらs)、エチオピア総大主教が厳粛な面持ちで進んでいきます。(写真6:総大主教s)。

写真5;踊りながらs   写真6:総大主教s

三回回って、行列が終わった後も、女性グループは踊り続けていました。(写真7:踊り6s)。ダヴィデ王が契約の箱をエルサレムに運び入れる時、その前で「力のかぎり踊った」とあります。(サムエル下7:14)。日本では「アメノウズメノミコト」の話があります。喜びを体全体で表す、人の自然な姿がうかがえて、こころ和む祭儀です。

   写真7:踊り6s