押し掛け女房

 

アンジェロ 春山 勝美 神父
Fr.Angelo Haruyama Katsumi, OFM
haruyama@netvision.net.il

さて、心配していただいている当地の暴力事件は、ミニ戦争とも言われています。また、宗教戦争とも言われます。日本人はこの種の戦争を経験していませんので、多くの人が「心の寄りどころである宗教が原因で」戦争することが理解できません。大きなつまずきです。

神の教えは明らかです。5日は年間第31主日でした。この日の福音(マルコ12:28-34)で「神を愛すること」、「人を愛すること」が教えられました。愛の関係は許し合ってこそ、関係が持続します。仲直り出来ないどの争いも神のみ旨に背いています。人に背き、神に罪を犯す私たちです。相手の犯した罪を許すことが出来ないと関係が終わります。許し合うことで関係が持続します。神が授けた掟は愛することです。キリスト者の私たちもですが、ユダヤ教徒のイスラエル人、イスラム教徒のパレステイナ人は同じ神の子らです。そして、互いに愛し合い、許し合うことが出来ないなら、神の教えに背き、神の聖なる名を汚し合っていることになります。

ところで、原則論は原則論として、私はイスラエルとパレステイナを夫婦にたとえてみました。このお互いの聖地で、一致し、協力出来れば、「乳と蜜の流れる約束の地」を実現することが出来ますが、お互いが憎み合ったら、地獄にしてします。今がその時です。イスラエルは、このところ仲直りを計ろうと同居(パレステイナ国家承認)しようと言い出しましたが、パレステイナはイスラエルの本心を疑っています。そもそも、パレステイナにとってイスラエルは「押し掛け女房」のような存在で、気に入らない相手です。(「ゲスト」と呼んでいます。)いつかは追い出すと心の中で、誓い合っています。パレステイナの本心がちょっぴり出た今日この頃です。

この50年、イスラエルがパレステイナを抑えてきましたが、もし仮に、パレステイナがイスラエルを追い出すことが出来たとすると、その時は立場が代わって、イスラエルがパレステイナを攻撃します。夫婦が争っていたら子供が不幸です。将来がありません。パレステイナは国をつくらず、夫婦互いの違いを認め合い、その違いが合体してこそ、より豊かな幸せが実現することに気づいてほしいです。

とは願い、祈っていますが、どうにもならなくなった夫婦があるように、今の、イスラエルとパレステイナはそのようなものです。イスラエルの神、ヤーヴェも、私たちの「父と子と聖霊」の神も、イスラムのアラーも、同じ神ですので、もう一度、洪水で滅し尽くそうと思いたくなるでしょうね。